「易占」なのか「易経」なのか?そもそも「易」って何?

「易」と聞いて、思い浮かべるものは何だろう?
やはり、長い棒をジャラジャラさせて占っている
易者さんのイメージだろうか・・・。

易経の道具

宇澤秀峰さんの「易占入門」という本の冒頭には、
「さて易占は、
 ・未来(未だ来たらざる世界)
・未知(未だ知らざる世界)
を知ることができるものです。

と書いてある。

易を「易占」として、未来や未知の道標を知るために
使うと「易占」となるのではないかと個人的に思う。

それならば「易経」となると、「易占」とは違うのだろうか?

さきほどの「易占入門」には、
「易経は、「占いの書」だけでなく、「修身の書」でもあります。
自らの心身を修めればこそ、真の意味で人のリーダーとも
なりえるでしょう」

「この易経は「易は帝王の学」とも言われており、
経営者や政治家など、社会の指導的立場にある人にとっての
「必読の書」として古来から用いられています」

と書いてある。

「易」は未来や未知を知るためにも使えるし、
書物として読み勧めていけば、人を導くための標(しるべ)として
使うことができる。

ようするに、使う人、使う目的によって「易」は違うものに
変化していく。

そしてまた「易」は「変化の書」とも言われている。
万物は常に変化をしており、一瞬たりとも
同じではありえない。

太陽が東から昇って、一瞬たりとも止まることなく、
西に沈む。
(地球が自転してるからですが、その自転は止まることがない)

人は生まれてから、一瞬たりとも止まることなく、
死へと向かっていく。

万物は常に変化していく。

その変化の一片を「易」は捉えて、その時のことを
「易断」してくれるのだと、個人的には思う。

「易占」と「易経」の違いは?
と問いかけてみると、「易占」は、未知や未来の一片を
訓えてくれるもの、「易経」は、人として、リーダーとしての
生き方や道徳観を説いているものではないかと
私は思うのです。


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