不思議なご縁で高野山へ。大師教会でお授戒を受けて殺生の深い意味を知る。

2017年8月、高野山へ行ってきた。
今回で3回目の高野山、1回目は高校の卒業旅行(メッチャ渋い!!)
2回目は高野山開創1200年の時、そして今回。
全て自主的に行こうと思ったのではなく、誰かが連れて行って
くれている不思議。

今回は飛騨千光寺で学んでいる臨床瞑想法の師である
大下大圓さんが連れて行ってくださった。
臨床瞑想法のフォローアップ研修を兼ねての高野山参拝。

書きたいことはいろいろあるが、大師教会でのお授戒について
忘れる前に残しておこうと思う。

大師教会

今回は高野山で行う研修内容は簡単には知らされているけれど、
詳しくはわからない・・・。

16時から「授戒」とのことで、これが何かわからなかった(^_^;)

大師教会という場所へ連れて行かれて、少し待たされる。
多分、受付とかいろいろな手続きがあったのだと思う。

その後、大圓さんに連れられて授戒堂へ向かう。
授戒堂に入る前に置かれていた塗香を手に取り、
身を清める。

授戒堂

授戒堂の中は、窓は閉められており出入り口の扉からの
光と空海さんが祀られた正面の明かりのみで、
薄暗い感じがしたような気がするけれど、
授戒が始まる前は明るかったのかもしれない(^_^;)

授戒が始まる前に、30分間は授戒堂の外に
出られないと言い渡された。
普段、瞑想で30分ぐらいなら平気で座っていられるので
何も不安はない。
これから何が始まるのかワクワクの方が大きい。

お仲間もたくさんいるので心強い・・・。

授戒が始まる前に、出入り口の扉が閉められ、
ほぼ真っ暗な状態になる。

閉所恐怖症ではあるけれど、暗闇は平気なので問題なし。

正面左手奥から、阿闍梨様とお付き?の僧侶が入ってくる。
この阿闍梨様、暗くてお顔は見えません。
立ち居振る舞いは凛としており、雰囲気や声の感じからは、
30代後半から40代前半ぐらいかと想像する。

ここからお授戒が始まったのだけれど、書こうと思って
何があったか思い出そうとしたら、何か記憶が途切れてる・・・。

真言を唱えたような・・・?
十善戒を唱えたような・・・?

阿闍梨様の声に聞き惚れてたからか?
私のつたない文章で書き表すことは難しいけれど、
阿闍梨様の唱えるときの声が素敵すぎるのです。

身体というか心の中に染み渡る声だったのですよ。

そして、阿闍梨様から殺生についての法話を聴いた。
これからお授戒を受ける人もいるかもしれないので
詳しい話は省略するが、とても意味深いお話だった。

殺生はしていけない・・・当然のことだけど、良かれと思って
ある生命を助けたことで、他の生命を絶ってしまうことがある。

だから、私たちはどうしたらいいのだろうか・・・。
その答えは、直ぐ目の前にあるようで、どこにも無いような気もする。

命をいただく・・・深淵なる意味。
命をいただいて生かされるこの身をどう生かすか・・・。

お授戒で授けていただく十善戒について、高野山のHPに
意味が書いてあった。

これを読むと、結局はより良く生きる、楽に生きるための智慧の一部が
十善戒なのではないかと思った。

授戒堂の空海さん

私にとって高野山は何度でも行きたい場所。
何か目に見えない不思議な気が漂っている場所。
そこに居るだけで癒やされて、浄化されるような
場のエネルギーを感じる場所。


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