スピリチュアルケアとは? 見つめる瞑想で記憶を遡る。②

GWは飛騨千光寺でのスピリチュアルと
瞑想療法セミナーを体験した。

見つめる瞑想をしていたところ、私が福祉の仕事を
始めたきっかけになった出来事を思い出した。

極楽門

私は、祖父母の家に預けられる事が多く、
妹が生まれる時には祖父母の家から
幼稚園へ通っていた。

祖父母は私のことを可愛がってくれたあめ、
幼心に家にいるよりも祖父母の家のほうが
楽しいと思っていた・・・。

そう、思っていた・・・。その頃は・・・。

幼い頃の私は、祖父母の家だけでなく、
親戚中の家を泊まり歩いた。

祖父母の家では、自分の家では飲むことが
できなかったクリームソーダを祖母が作ってくれた。

歳がバレますが、粉のクリームソーダの素があって、
その上にバニラアイスを乗せるのです。

親戚の家に泊まれば、ご馳走が食べれます。

我が家の朝食はトーストとコーヒーだけ。
親戚の家では、ハムエッグが食べれた。

食べ物に釣られて行っていた・・・?

ずっとずっと深く自分を見つめていくと、
そこに幼いころの自分の淋しさが見えてくる。

母の愛に飢えていた・・・。
母から逃げたかった・・・。

母はいつの頃からか、体調が悪くて朝は
起きてこなくなった。
ご飯を作ることも、あまりなかった・・・。
いつも父の不満を私に漏らしていた。

幼い私には、母の重い感情を引き受けることが
できなかったため、祖父母の家へ逃げていたかも・・・。

祖父母は厳しいけれども、愛のある人たちだった。
祖父母の家には母親の兄弟も一緒に住んでおり、
長男は結婚しており、子供もいた。

総勢10名以上の大家族だった。

自営業だったので、楽な暮らしではなかったと
思うけれども、祖父母の家での暮らしは楽しかった。

大きくなるに連れて、祖父母の家へも行くことが
少なくなり、私が大人になる頃には祖父が
認知症になった。

祖父は、四国遍路へ行っており、弘法大師空海さんの
ことを私に教えてくれた人。

その頃の祖父母の家の内情はあまりよい状態では
なかったと思う。

母の兄弟は、それぞれ独立し、祖父母と長男の
家族が同居していた。

祖母は、認知症になった祖父の世話をしていた。
食べたいばかりの祖父のため、大きなお菓子の
袋を祖父に渡していた。

お菓子を食べながら、テレビをぼーっと見ていた、
祖父の後ろ姿は今でも脳裏にしっかり残っている。

そんな祖父も、意に反してショートステイへ
入れられたことから、弱っていき亡くなった。

その後、祖母の癌が発覚し、祖父が亡くなってから
10ヶ月あまりで祖母が亡くなった。

私がお見舞いに行った時、祖母は病院のベッドのうえで、
じっと天井を睨んでいた。

この祖父母に対して、自分は何かできないのだろうか・・・。
思っただけで、何もできなかった・・・。
可愛がってくれた祖父母に対して私は何も還すことが
できなかった・・・。

これが私を福祉の仕事へ向かわせたきっかけ。

一生懸命働いて、子供を育ててきて、頑張って
頑張って生きてきたのに、最後がこれでは
淋しすぎないだろうか・・・。

「飛騨千光寺でスピリチュアルケア&瞑想療法セミナー、仮想臨死体験から黄泉帰って思うこと」へ続く。


©:2016みぜっとの6割主義でゆるく生きる