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エゴの罠!私が〇〇してあげる!良いことだと思ってやってきたことが、相手の学ぶ機会を奪っていたかも?

エゴという言葉が、この場合、合っているのか
合っていないのかわからないのですが、
ちょっと気づいたことがあったので
書いてみます。

私達は、学校とか親に教育や躾をされてきたと
思うのですよね。

「困っている人がいたら助けてあげなさい」
と子供の頃に先生や親から言われた人は
多いと思います。

困っている人って、どんな人なんでしょうね?
誰が困っていると決めるんでしょうね?

日本人は気遣い、気配りができる人が多いので、
困っている人がいたら、気づいて助けたり、
手伝ってあげる人が多いと思う
のですよ。

それが悪いというわけではないのです。
良いとか悪いとかという判断は、
ここでは置いておきます。

例えばですね、
これは、過去の私がよくやっていたことなのです。

仕事が遅い人がいたとします。
仕事の遅い人に任せられた仕事があるとします。
その人と自分は、同じチームで、その人が仕事を
終わらせないと、最終的には自分のところに被害が来る。

だったら、先回りして「私がやっといてあげる」
と言って、やってしまう。

当然、私は困った人を助けたので、
良いことをやったと思っている
わけですね。

この場合、私が相手の人を勝手に困った人、
困っている人だと判断している
わけです。

でも、見かたを変えてみると、どうでしょう?
仕事の遅い人が、本当に困っていた?
本人は、困っていると思っていないかもしれません。
また、私が困っていると判断した人が、
学ぶべきことを、私側だけの判断で、
取り上げてしまったことになりません?

仮に、その人が大変な思いをしたとしても、
周りの人に迷惑をかけたとしても、
その時、その仕事を終わらせることができれば、
仕事の遅い人にとっては、ひとつの学ぶべき経験であり、
結果が残せた仕事の一つになると思いません?

私が相手のためだと思ったことは、
裏を返せば、自分のためだった
と思ったのは、
最近のことですね。

仕事だけじゃなくて、人生のいろんな場面で、
もう、何十年もそんなことをしてきました。

じゃぁ、どうしたらいいか・・・。

前に何かで読んだと思うのですが、
何で読んだか思い出せない・・・。

寄り添って見守る。

あと、私的には、選択肢は相手側に持たせて、
「何か手伝う?私にできることがあれば言ってね」
みたいなニュアンスは伝える。

それで、相手が助けを求めてきたら、
手伝うし、そうでなければ、見守る。

私は、いろんなことに手を出しすぎていたんだと
今は思うのですね。

そうは言っても、やっぱり気がついても、
手伝わないことに対して、ウダウダ考える自分も
いるんです。

なんで、こんなことを書いているかって言うと、
太極拳を訓えるようになってわかったからですね。

私は太極拳を訓えることはできるけど、
太極拳ができるようになるには、本人が努力するしかない。

この場合は、私が代わりにすることはできないんですね。

そう思うと、今まで良かれと思ってやってきたことって、
実は自分のエゴだった
んじゃないかとね。

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